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- 100周年に際して
丸芝はありがたくも100周年
誠実にお客様に寄り添い、喜んでいただきたい想いで
ひたむきにただ目の前のことに全力で挑み続けてきました
そこに派手さはありませんが
本当にあきることがないのが商いです
これまで積み重ねた歴史と信頼を糧に
これからも、私たちらしく、ひとつずつ
次の200年目も共につくりあげたい熱意を原動力にして
チーム丸芝は一丸となって商いを続けて参ります
20年前に編さんした80周年史に、あと20年分を書き加えるだけと甘く考えていた100周年史でしたが、自らの会社への貢献内容など社の代表として施した改革や改善、それらと業績伸長との関連性など、歩んできた道が丸芝をどのように成長させてきたのかを検証する大事な作業となっていました。
東芝代理店の「のれん」を守りつないでいくという使命が当初の目標であった訳ですけれども、その最低限の目標により25年という長きにわたり「細く長く会社を守る」ことは達成できました。しかし同じ年月、経営を続けている他の企業が、丸芝より規模を拡大させているその違いはどこにあるのだろうか?と、常に問いかける日々でした。
「守り」の経営には成功しましたが、「攻め」の経営ができていないことが原因ではないかと。
100周年を振り返ってみると、丸芝は不動産や輸入雑貨販売に10年近く力を入れている時期がありました。今思えば、新業種へと進出し発展を試みた「攻め」の時期があったではないかと。
私は「攻め」の目線を外に向けるのではなく、まずは社内制度体系の充実を図り、社員たちを幸せにしたうえで、会社に体力をつけ、そうして初めてほこ先を外部に向けてステップアップしていくという方法を選びました。
お陰様で会社の信用も徐々に高くなって参りました。これから100年先に向けて着実に1歩ずつ、分相応な「攻め」をしていく所存でございます。
お客様、仕入先様と築き上げてきた深い信頼関係をより強固なものにするべく、企業努力を続けて参りたいと思います。そしてこの100周年史を今手に取り、お読みいただけることに心より感謝申し上げる次第です。
三代社長
100YEARS
商人魂の系譜
丸芝100年の歴史は、松岡家代々に受け継がれる商人魂の歴史でもあります。
三代にわたる社長それぞれの信条や生き様が、丸芝に挑戦の機会をつくり成長させてきました。
どの時代においても人との絆を大切に歩んできた、歴代社長をご紹介します。
信念を事業の推進力に
仕事一途、頑固一徹。
商才をめきめきと発揮。
- 三重に生まれ、大阪で奉公。東京にて新しい商いの道を切り拓く。
- 松岡商店から丸芝電機へ。戦後の時代を読み、商売の才覚をみせた。
- 業界全体の発展にも尽力。公共の福祉に心血を注いだ生涯。
- 厚い人望を集めた経営者。その実、アイデアあふれる技術者でもあった。
遊び心あるセンス。
英語も堪能で挑戦をたのしむ。
- 社交的でゴルフの腕前も抜群。その実、人一倍の努力家。
- 得意の英語力を発揮。外国のお客様も訪れる店に。
- ビジネスを広げる数々の挑戦。不動産業にも進出。
- 過去にとらわれず大胆で合理的な改革も断行。
- 視野は海外へ、貿易の分野にも挑戦。新しい可能性を拓く。
海外へと視野を広げる
さらなる飛躍へ
しなやかに丸芝を成長へと導き、
ひたむきに尽くす。
- 社交的で努力家なのは父譲り。
- 朗らかな人柄で周囲に慕われる。
- 幼いころから商いの面白さを教えてくれた祖父。実直で商い好きは祖父譲り。
- 丸芝を成長させるために会社の評点と社員の力を向上。
- 丸芝とかかわるすべての方と幸せをわかちあえる未来へ。
丸芝次世代インタビュー
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Q1丸芝が築いてきた
100年とは?それぞれの社長がやりたいことをやりたいように続けてきたのがこの100年。自身においても、自分らしく個性を活かして引き継いでいきたいと考えています。
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Q2歴代社長から感じる
松岡イズムとは?自身がたのしむことで会社がよくなり、周りの人々も幸せにできるという考え方が“松岡イズム”なのかなと思います。だからまずは自分を鍛えることが大事。
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Q3丸芝の強み、
ポテンシャルとは?一番の強みは100年の歴史と信用。その細く長くやってきた強靭な部分を、今後太く肉づけしていくことに、丸芝のポテンシャル、高い期待値があると考えています。
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Q4思い描く
次世代リーダー像とは?丸芝にいる社員は、年齢やキャリア、性格も人それぞれ。そんな個々を活かし、見極められるチームのキャプテン的な存在が必要なのではないかと感じています。
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Q5挑戦していきたいことは?
丸芝の事業の強化を図りたいと思っています。さらに体力をつけて、取り扱う商材の幅や提案力、サービスの提供力などを拡大することにチャレンジしていきたいですね。
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Q6TEAM MARUSHIBAとして
大事にしたいことは?何より団結力です。一人ひとりがお互いのよい部分を認めあい、褒めあえるような関係によって、個の力が強くなり、チームとして強くなっていくのではないでしょうか。
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Q7CRAFT200に込めた思いとは?
新たな100年も職人気質を大切に、自分たちが本当にやりたいことをやって、その先で周囲に目指したいと思われるような会社に発展させることができたらすごくいいですね。
丸芝100周年の歩み
クロニクル
クロニクル
大正デモクラシーの自由な空気の中、重工業の発展や都市化の進展に経済が沸いていた大正13年、日本橋兜町からはじまった丸芝の歴史。第二次世界大戦中は苦難の時代を過ごし、戦後の復興期は創業者松岡孝夫の揺るがない経営哲学によって乗り越え、現在につながる礎を築く力強い姿がそこにはありました。
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1924年(大正13年)電機機械器具卸売商、
千代田電気合名会社として
のちの丸芝が創業大正13年、初代社長が日本橋兜町に設立。
電気機械器具卸売商が丸芝の起源。 -
1949年(昭和24年)丸芝電機株式会社、設立
個人商店から会社組織へと転換。
今に受け継ぐ社章を使いはじめる。 -
1954年(昭和29年)田代町に5階建ての
自社ビルを新築鉄筋コンクリートビルの本社社屋を竣工。
営業面も拡充・強化。
戦後の復興を経て、輸出促進政策や技術革新により日本経済は高度成長期を迎えます。取扱商品の変遷、景気変動、代理店施策の変化など、周りの影響を受けながらも、懸命に知恵を絞り時代に対応する経営姿勢により、丸芝は業績を伸ばし、時代の波に乗って躍動します。
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1956年(昭和31年)売上高1億円達成
もはや戦後ではない、昭和30年代初頭。
景気変動の影響を受けつつ売上高1億円を達成。 -
1969年(昭和44年)松岡孝夫、黄綬褒章を受章
昭和44年3月29日、黄綬褒章を受章。
10月15日に帝国ホテルにおいて祝賀会を開催。 -
1972年(昭和47年)卸売代理店業へ特化
店頭での小売り販売から完全撤退。
本業の重電販売へ集中し、資源・業務を効率化。
電機や自動車の先進的な技術開発により、日本が世界の中で存在感を増していったバプル景気と、その頂点からの停滞期。丸芝にとって老舗代理店であった東京田中電気と合併するという歴史的出来事も。激しい時代のアップダウンに翻弄されながらも、現在の丸芝へと大きく変化と進化を遂げていきました。
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1974年(昭和49年)松岡政則、二代社長に就任
松岡政則へ社長交代。
もっとも変化の激しかった時期へと突入。 -
1977年(昭和52年)東京田中電気と合併
東京丸芝電機株式会社として、新たな一歩。
人事責任の明確化、本社・相模事業所の統合・整備、千葉営業所の独立などが打ち出される。 -
1984年(昭和59年)株式会社丸芝へ社名変更
東芝の社名変更に呼応。
電機・機械の総合商社、株式会社丸芝が誕生。
時代は平成から令和へ。インターネットやIoT技術の急速な進歩に伴い、ビジネスシーンや人々の価値観は大きく様変わりしました。丸芝では、松岡政則の実娘である松岡敬子が三代社長に就任。新しい時代を迎えました。厳しい中でもしなやかに強靭に変化に対応し、さらなる発展へ向けて丸芝の体力増強に尽力します。
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1999年(平成11年)松岡敬子、三代社長に就任
社員の意識の掌握および社内の意識改革を実施。
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2004年(平成16年)東芝産業機器システムから
東関東支店を事業移管千葉営業所を、東関東支店と改称。
東芝産業機器システムより人員ならびに営業窓口を移管。 -
2010年(平成22年)社内制度を大改革
経営の右腕に伊藤秀夫を迎え、
徹底した社内制度改革に取り組む。 -
2014年(平成26年)創業90周年を機に本社を
リニューアル歴史を物語るモニュメントを設置。
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2024年(令和6年)創業100周年を迎える
次の200年目へ